のこぎり山開発隊の永祐寺と鹿場薬師堂及び流泉寺への歴史探訪

今回の「のこぎりやま開発隊」は赤井幸家とゆかり深いを7月13日(土)に行いました。
今回の参加者は23名と若干少なめでしたが、初めての方も3名(うち一人は福知山市)参加していただきました。三尾荘に朝9時30分に集合し、まずは東中にある永祐寺へ車で移動。ここには赤井幸家の位牌がありました。住職さんにお聞きすると、以前、温泉近くに住んでおられた近藤さんという方が、この地を離れ大阪に移られるときに菩提寺である永祐寺に持ってこられ、祀ってほしいと言われたそうです。その他いろいろとおもしろい(?)お話しもお聞きして、次は鹿場公民館のすぐ近くにある薬師堂へ徒歩で進みました。途中すこし雨がぱらつきましたが傘をさすほどではなく農道をハイキングできました。鹿場薬師堂では赤井幸家の内室のお墓がここに祀られています。しかし、お墓と言っても丸い大きめの石があるだけで、とてもお墓のようには見えませんでした。その後、内室が住んでいたという所(今は畑)を通り、旧道をハイキングして国領の流泉寺に到着。住職さんは残念ながら法事があったので、代わって細見さん(前寺総代)の方から流泉寺について説明を受けました。ここには赤井幸家の墓碑があり、今年2月に行った弘誓寺にある同じ戒名の墓碑がありました。それぞれ詳しい説明を受けましたが、細見さんは「質問は一切受け付けない」と冗談を交えながら質問に答えていました。また、初めて参加の方の中にかなり歴史に詳しい方がおられ、こちらもいい勉強ができました。
今回も全員がこんな身近に赤井家に関する所があるなんて、と改めて知ると同時に「来てよかった」との声が聞こえていました。
ここで、少し遅いお昼を済ませ解散となりました。
次回は検討中ですが、あの明智光秀が攻め落とした八上城「高城山」(460m)に行ってみてはと思っています。ここの城主波多野秀治と直接ではないのですが、下三井庄の深尾須磨子とも繋がるように聞いています。いろいろと面白いこともあるようです。