三尾山登山と弘誓寺への歴史探訪

三尾山への登山及び弘誓寺への歴史探訪を2月23日(土)に行いました。
今回の参加者は46名(うち篠山市から5名、大路以外から4名)。内登山者は31名。登山せずに直接弘誓寺への参加者は15名でした。
三尾荘に朝9時に集合し、登山の方は9時30分に中山から出発。風は冷たかったが晴天に恵まれ登山日和になりました。今回は、丹波市長の谷口市長さまにもお声をお掛けし一緒に登山を楽しむことができました。三尾山では前三尾の眺望を楽しみ、そして中三尾を通り本丸があった三尾城跡へ進んだ。休憩も入れながら続いて佐中峠を下り、佐中ダムへと降りて行った。ここまでの所要時間はスローペースで約3時間かかった。そして、迎えの車で弘誓寺まで送ってもらう。
一方、登山せずにドライブコースで行く方は三尾荘に10時集合。時間に余裕があったので、出発前に黒井城主の赤井直正(悪右衛門)の実弟、赤井幸家が築いた城が三尾城であることや、その赤井幸家のお墓や位牌、涅槃図等が祀られている話をしながら事前学習をしました。その、勉強もよかったのですが、それより15名の方同士が顔は見覚えがあっても、どこの誰かわからない人も多く、改めて様々なことがわかり、お互いに「よかったね!」との声が出ていました。
そして、旧西紀町にある山号:三尾山弘誓寺で合流しお寺についてお話を聞こうと思っていたが、本日は住職さんが法事のためお留守とのこと。そこで前もってお願いしていた元高校の校長先生で西紀の宮田生まれの久下先生に歴史的な事や地理的な事、お墓の場所そして本堂の内部にある重要な位牌や涅槃図等についても詳しく説明をしていただいた。全員、すごいお寺だったと改めて知ると同時に「来てよかった」との声が聞こえていた。
少し遅いお昼を済ませ、全員お迎えの車で三尾荘に戻り解散となる。
今回も楽しく山登りができ、楽しい時間が過ごせたことが一番でした。
次回は、計画中ですが、あの明智光秀が当時氷上郡と多紀郡を分断するため、多紀八上に拠った波多野氏への応援を遮断するとともに、第一次の丹波攻めの際に苦汁をなめた赤井一族へ報復する執念に燃えて築いたのが金山城と言われています。ここに行こうと思います。ここからは、黒井城・三尾城・八上城が見えると聞いています。